混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

バックスペース病

2019-2-14〜3-1までかけて推敲を試みたが、ボツにした投稿である。ふと読み返してみたら、根源的にこの路線は継承している感もある。再投入。

推敲という言葉の本来の意味はともかく、ここでは「文章を直すこと」について話をしたい。

文章を書いていて「あれ、こんなことが書きたかったんだっけ?」と戸惑うとき、それは推敲におけるバックスペースキーの使いすぎである。

原稿用紙であれば途中まで書きかけて、軌道修正を加えたとしても、その痕跡は残っている。

書くことが決まっているならともかく、書きながら考えるのであろうから、軌道修正どころかあべこべの事だって書きかねない。書いては消しの繰り返しを続ければ、何を直し、何を崩し、最初に何を思い、何に葛藤したのか、どこで変節したのか、もはやわからないのがパソコンで文章を綴るおそろしさ。

何度もバックスペースキーを連打するうちに、文章がどんどんわけのわからないものに変容していくのだな。

推敲するな、書き直せ

そして、思い余って禁断のコピーペースト編集が始まる。だが、それはただのパソコン操作。偶然に頼りすぎだよ。画面の前にあるのはコピーペーストでズタズタにされてしまった はたして自分の考えなのか知れぬ文章。こうなる前に書き直せということだ。推敲は紙の上で存分にやるがよい。パソコン上では みだりに推敲するな。バックアップを取って書き直せ!

ちょっと救いのない話になってきたので、ここで結論めいたことを言おうとすれば 一から書き直しはするが、少し頭を冷やせという事かも知れない。今までの流れをKJ法の考える花火で図式化するのも良いだろう。

続けてやろうとしたって、同じ人間が大して変わらぬ状況の中で書いたって、前と同じものしか書けぬ可能性が高い。