無理やり書くメソッド紹介
書くという行為にも賞味期限がある
テーマに飽きたら、それでおしまいである。だから、漠然とでも何か書こうという衝動だけが確かにあるうちに、 どんな手段でもいいから書いてしまうという話をしたい。
書けない人はどこに居る?
まとまった文章を書いたことがない人にとって、量を書くということすら難しい。
書けない人の話は書けない人にしか書けない というパラドックスがある。コンテンツが無ければ検索に引っかかりようがない。書けない人は何処に居るのだろう。もしかしたら、このようなことを綿々と言い募る、このブログがそうなのかもしれない。1年以上もブログをやっていて投稿数が1桁(当時)なのだから、書けない人を名乗る資格はあるさ。
主張することはネットの要請
ネタも用意していないのに、ともかくブログを開設してしまった人には、つべこべ言わず何か書いてみろというネットの要請がもれなくセットでついてくる。どうすれば良いのだろう。
本格的なKJ法では時間がかかる
考える花火については、ついバラ色の創作手法のようなことを書いてしまったが、もちろん考える花火をもってしても書くことが出来ないことはありうる。KJ法は問題解決の学である。文章作成はその副産物に過ぎない。
そもそも、中心に配置すべきカードの表題が思いつかない、といったケースだってある。「それはつまり、書くことが無いってことじゃないの?」と考えるのは早計である。
2018-04-27(金) 19:40:22 KJ法 川喜田二郎 中央公論社 P60
ところが、本当に感じていることを正直に表明することはなかなかむずかしい場合が多い。(中略)
それは、自分の心の奥底で何かを感じていても、それが何であるのかが、自分でも理性的に掴めない場合である。だからデータとして表明しようにも、どうしてよいか判らないのだ。言葉にして表明できるのは、心で真に感じていることそのものではなく、それとどこかでつながっていそうな事柄だけである。
その曰く言い難いことをKJ法の段階を経て最終的に最適解にたどり着くというのは理想型ではある。しかし、今回は書けないものを書いてしまうということに特化しよう。とくに文中で問題が解決されている必要はない。
現代国語問題文もどき
ワンパターンの克服
書けない理由が自分の思考の癖に飽いているという場合、これを逆手に取ってパターンで先に書いてしまうという方法もある。まず現国の文章題の要領で、次のような問題を自作してみる。これは、自分の文体の癖だと自覚しているパターンの方が何かと捗る。
【問1】次の1〜5の中に己れの心の中から当てはまる語句を選びなさい。 |
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1.__________と口で言うのは簡単だが2.________である。3._________という問題もあれば、ただ単に4.________のかも知れない。そもそも5.________ という可能性もある。 |
ちぐはぐでも書かないよりマシ
自分の心の奥底から、無理やりキーワードを5個拾ってきて、この穴埋めをする。多少、日本語的におかしくても気にしない。出来上がったら読んでみる。そして、直してみる。書き直してみる。そうしてるうちに、何かが見えてくる! 実際にやってみよう 例えばネット書店のアマゾンのことで、モヤッてることがあるとする。上の穴埋めを完成させるならば、下記のようになった。
[1.本は店で買え]、と口で言うのは簡単だが[2.実践は難しい]である。[3.探している本が売っていない]という問題もあれば、ただ単に[4.品揃えに難がある]のかも知れない。そもそも、[5.本屋さんでの注文を店側が望んでいない]可能性もある。 |
無から有を生むこと
即興で作ったので出来は勘弁して欲しいが、「考える花火」で使うカードの表題レベルにはなっていると思う。そこから考える花火で作図するのか、このまま書きすすむのかは自由である。
テーブルトークもどき
出鱈目を言ってみる
サイコロを用意する。適当な接続詞を6つの賽の目に設定する。例えば、一の目が出たら、「しかし」。二の目が出たら、「つまり」、あとは適当に、「なぜならば」「だから」「そして」「それとも」と設定する。これも思いつくままである。内容が重要なのではない。とにかく書いてしまうことが目的だ。運の要素も確かにあるが、思いも寄らない発想にめぐり逢うことだって、無きにしも非ずだ。
出来は神のみぞ知る
例えば、私は毎日タバコを吸うでも何でも良い。そしてサイコロを振る。「しかし」の出目なら、タバコを吸うことに対しての否定的な(日頃考えていること)が続くこともあれば、タバコに対する世間一般の偏見を攻撃する文章が続くかも知れない。筆が止まったら、またサイコロを振るのだ。次は、なぜならばの出目が出たら、今まで書いたことを具体的に説明するなり、ある種の証明をしたりすることになるかも知れない、これぞ本当の「出鱈目を言う」だ。そして、一通り出来上がったら、読みかえしてみる、直してみる、書き直してみるのである。