混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

KJラベルのおきて (2)

さて、誤解のないようにKJラベルについて言っておくと、これは以前に紹介した考える花火の話の中で出てきた(便宜的用語)花火カードとは異なる。切ったカードは捨てるものだ。取っておいても ろくなことがない。

これとは対照的に いったんKJラベルとして採用したものは、よほどのことがない限り取っておく。捨てるならば、なぜ捨てるのかの理由が必要で、逡巡するうちに結局 残すことになるだろう。

いわば終身雇用であり、ラベルを見たら どこのセクションでくすぶっている人材なのかがすぐにわかるようになっていることが求められる。

なぜそこまでラベルが大事にされるかといえば、己れの乱読の記録である他に、作成時に込められた思いが尋常ではないからである。

2019-03-31(日) 18:39:51 KJ法 川喜田二郎 中央公論社 P124

ラベルづくりの最も肝要な心がけは、各一枚のラベルが、ひとつの「志」を持つように書け、ということである。

ラベルに込められた「志」は作業の途上で何度も反芻される。

2019-03-31(日) 18:40:55 KJ法 川喜田二郎 中央公論社 P124

ところで、このように(ラベルを)読み進む場合に最も肝要な注意は、ひとつずつのラベルの志を、耳を傾けて聴き、うなずいてから、次のラベルへ進むことである。

なんとも鬼気迫る情景である。

ここまで来るとラベル愛と言っても過言ではない。

つづく