吉川三国志は孔明のところからで良い
リライト 2024-12-31
やっと吉川三国志も孔明のところまで来た。三国鼎立の時代だ。魏、呉、蜀、それぞれの勝ち負けが、駆け引きが、重要な意味をもってくる。
もう、弱小勢力の出番などない。どこが勝ちあがるのか予想がつかない展開はそれなりに楽しめたが、今、そういうのはシミュレーションゲームでいくらでも出来る。
わたしたちは、どんなに劉備に負けが込もうが、曹操が死線を彷徨しょうが、次の、あるいは次の次の機会で挽回できることを知っている。
この勝ったり負けたりに付き合わされるのが、かったるくなってしまった。読めば読むほど消化試合じみて来る。
序盤の敗北や犠牲が、あまり、意味を持ち迫ってこなくなる。北伐以降の展開とそれ以前では、明らかに物語の質が変わってくる。関羽、張飛が気持ちよく切った張ったを演じられた時代は終わる。
詰腹を切らされる馬謖のエピソードに代表される鬱勃として楽しまない展開の前には、貂蝉に代表される、あまりに古色蒼然としたエピソードたちは、その役目を終えている。
離脱も考えたけれど、やっと、孔明のところまで来た。いつか三国志を読み返すことがあったら、次は、孔明のところからにしようと思う。