一言で30年(黎明期からだと50年以上)というけれど、八〇年代のKJ法シーンから、廃れもせずに21世紀ネット全盛の世の中でブレることなく生き残っているというのは一種の奇跡ですらある。
30年前といえばテレビでトンデモ幕末モノをやっていて、それが未だに記憶に残っている。まず志士の扱いだ。こいつらはただのイキったナンパ集団である。シシジャ、シシジャと京都の街でナンパするキモい集団として土佐藩士は描かれ、それはシュールな映像というかギャグだった。ギャグといえば山内容堂に扮したのはビートたけし。先日大河で圓生をやったあの風格は全く無い。ナンダ コノヤロ バカヤロ ハラキレ ハラ ハラ という感じで容堂を演じていた。
徳川慶喜を演じていたのは久米宏である。当時はまだTBSのアナウンサーだったと思うが、ああいう高貴な役は役者じゃないインテリがしっくり来るという時期が確実に(一瞬だけど)あったのだとは思うが演技がほとんどザ・ベストテンだったことにジャンルを超えた衝撃を受けた。(まあ、ミスキャストですよ)
今30年前のテレビ的なマス的な空気を伝えんとしている。
稚拙とかシロウトかよとか、このドラマの出来については語り口はあるんだけど、それよりも、まあ、なんでもありだよ。そして今じゃアウトです。時代の要請で何事かを創造せねばならんというのは山ほどあったけど、じゃあどうすればいいんだということに(焦る必要はなかったんだが)KJ法は仮初めの答えを用意してくれた。ただしそれで生み出されたものがまともなものになるのかどうかは全く保証しない。このドラマみたいにね。
新たな発想ではあるが、下手な鉄砲の一コマであることは免れない。だから、数をこなす。全くタマとなるKJラベルが足りない。部屋の床が抜けるほどの在庫を抱えて、もう抱えきれなくなって例のカルタ取りを始めるのはいつの日か?
さて、マスを語ったから今度はパーソナルの話だけど学生の頃に通っていた茶店がひっそりと閉店していた。卒業してからは文字通り「電車から見るだけ」の存在。まあ、学生のころから既に老舗の風格だったから昨日今日のコロナ禍などでダメになったわけじゃない。そのイキサツはシャッターに貼ってあった。閉店イベントは開催されたのだろうか。