混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

メモから文章を起こす事について

グッドアイデアを思いつき、書けるものなら書いてしまうのだが、仕事中だとメモを取ることすら難しい。

おざなりなメモが取れたとして、メモが文章にされていく、そのされ方がいちいちピンと来ない。ネガそのものがピンぼけなのか、現像が下手なのか、推敲を重ねるほどに感光過多でそれは黒ずみ始め、文章の体を成さなくなる。

文章は何度も書き直してやっとものになるのだというけれど、推敲だけではどうにもならぬ。

そんな時、5分前でも5分後でも人は同じ事を言いません。人生と同じです というゴダールの言葉を思い出す。あとでまとめようと思っても、そのときに書く筈だった文章は永遠に失われ「違う こんなことを書きたかったんじゃない」という違和感だけが残される。

プロの人、小説家やライターさんは、いつでもその瞬間の考えの近似値をたたき出すようである。そういうことが出来るようになるには、やはり訓練が必要なのだ。

訓練とは毎日書くことだ。書かない日が続けば、メモから当時の状況を想起して文章を起こしていく勘がにぶる。いつの間にやらお門違いの文章を書く羽目になるのだろう。