混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

川喜田二郎「KJ法」の序文に書かれた不穏な言葉について

リライト 2020-8-2

いかほど読んでも無駄であるなどと本の序文に書かれた書物など世にあったであろうか?

これが本当なら「金返せ」である。受けるべき研修体制など既に掻き消えたけれど、端から受講者だけに配れば良かったのだと ひとしきり悪態をついた。

だが読むんだよ!

この矛盾と闘いながら、時間のムダから有用な技術の習得までのあいだを行きつ戻りつしながら読破されるべき本なのだ。

KJ法の独学が可能なのかということをあまねく世間に問うべきなのだ。

それが、このブログのレゾンデートルでもある。