混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

どんなに眠くとも毎日書くコツと自虐的考察

筆を走らせたなら書きながらにしてトリップしていくのを待つ。覚醒が自覚出来たなら、終わりにするなり、毒食らったら皿まで逝っちゃうかは、その日の気分次第。そんなときは今夜は寝るのは諦めて あした仕事があるとか関係ない、と、このようなノリで書いている限り、どんなに眠くても書いていられるものである。

ノートは常に右側を空けておいて清書もする。これはKJ法の点メモや井上光晴式文章上達法の手法である。

こうすると備忘録のようなことは自然と書かなくなる。清書がつまらなくなるからだ。ノートの右側の空白が、いつもプレッシャーになる。多少の文章のおかしさは気にせず文意がアグレッシブである事を優先し、あまり考え過ぎず一気に書いてしまう。推敲はしない。

推敲は別の日にやり、毎日のノルマから分離した。いつか必ずやらなければならないが10年後だってかまわないさ。だからこのノートの名前は「半分白いノート」という。

とにかく書き終わって無から有が出た気持ちがあれば合格とする。創造のはしくれ。それを毎日やるのだ。

さらに続ける工夫として、文章が面白くなければ大いに脚色もする。これ井上光晴流、3冊目のノートに架空のことを書く流儀である。

ネタを用意するのも良いかも知れないが、それを限られた時間のなかで考えるのは難しい。特に書き出しがやっかいで、これ以上粘っても一行も書けないと判断したら無理するものでもない。日記風にだらだら始まる放言風のものにシフトして連続記録を更新するのが良い。