「知る人ぞ知る」って死語だよね
20年前の2ちゃんねるの書き込みが出てきたぞ
20年前といえば2チャンネルでは、あの「ネオ麦茶」の事件(2000年)で盛り上がっていたころだ。
そんなネットの喧騒をよそに、とあるスレでは恩田陸の話題で盛り上がっていた。
このスレ、恩田陸を称して「知る人ぞ知る」と語り、うんちく話にご満悦のようである。今ならウィキペディアのコピペで了となりそうな内容である。
さて「知る人ぞ知る」である。恩田陸にそんな下積み時代があったかどうかはともかく、ネット全盛、アマゾン全盛の世の中では、この枕詞はすっかり使われなくなったようだ。
答え一発♪ネット全盛の世の中では、もう記憶する必要すらなくて、流れてく情報に身を委ねて、目まぐるしく変動する世界に出し抜かれんの挙げ句の果てが歩きスマホの跋扈なのだろう。
アマゾンに無ければ、無いですね
「アマゾンに無ければ、無いですね」の世界線を人類は無邪気に信じている。
それは謂うなればゼロサム社会のアナロジーである。知る人ぞ知るのような曖昧な存在を人々は許容しない。めんどくさい話はゴメンなのだ。誰かが売れれば、誰かが干される。それでいいじゃないか。
ネオ麦茶の頃。ただで時間を潰すのにテレビ以外に選択肢がなかったという意味で娯楽の少ない時代だった。一億総白痴の昔からテレビは貶められたが、ネットの普及につれ、何だかネット中央集権的な言論が増えた。「情弱」という言葉がテレビに対して向けられる。
まあ、その後ネット社会がどうなったか、アマゾンがどうなったかを後世の我々は知っているから当時の書き込みを好奇や同情の目で見ることができるとも言える。上から目線を反省しようではないか。恩田陸を「知る人ぞ知る」と言って何が悪い。誰も知らんが俺は知ってるぜエッヘンでええじゃないか。