少し古い記事になるのだが、当ブログに「お問い合わせ」を取り付けたときの話だ。今、表紙のメニュー右端にひょっこり表示されているのがそうだ。
このフォームの空欄に「お前の文章はつまらん」だとかの情報を入力して送信ボタンを押すと、しかるべきメールアドレスに送信されるという仕組みだ。
この仕組み、メールサーバーをインストールしたのでもなければ、読者がアクションを起こしたら自動的にメールが届くようなPHPを自作したのでもない。他所様が作ったプラグインというお知恵を拝借して解決したものである。
手抜きしやがって?いや時短である。これぞWordPress冥利につきる。しかし気持ちの悪さは残った。なぜ送信できてしまうのだ?送信できるならば 送信元のメールアドレスが存在する筈だが、見たことも使ったこともないぞよ?
気になって仕方ないので休みの日を潰して自分でメールサーバーを立ち上げて試行錯誤して見ることになった。まず、プラグインといえどもサーバーにSMTPの仕組みがないところで動作する筈はないと踏んだ。
だが、本番環境でメール送信のためにサーバーを立ち上げたり設定をいじったりするのは勇気がいる。このサイトが壊れるかもしれない。
なので自宅のPC(Linux)にメールサーバーとWordPressをインストールし、自分のPCの中にもう一台仮想PCを入れて(もう一台PCがあれば良かったのだが、ないので)それを内と外に見立て、内から外に向かってメールを自動送信(PHPのライブラリを使用)してみるという、自分でも半分何を言っているかわからない行為に没頭した。
そうして1日かけてわかったのは、そんな古典的な方法でWordPressはメールを送信していないということだ。
さて、理解が伴わないのに実行できてしまう諸々のことへの気持ち悪さの根源はなんなのだろう。
例えば、さっき買ってきた一本の缶コーヒーがある。誰が補充したのかも、中身がどういう工程で作られたのかも、ガコンと缶コーヒーを吐き出した自動販売機は誰がどういう経緯でいつ設置したのかも全く知らないのだが、それでもその缶コーヒーのことは信用して口に運ぶのだ。
自分の体内に取り入れようとしているにも関わらずである。
だがしかし、それを自分の目で確かめようなんて、せいぜい中華屋でコックが奮うフライパンを眺めながら運ばれてきた料理を信用して食べるというような事が、限界のように思う。
今書いているこの文章だって同じだ。これが投稿され、どういう仕組みで貴方のスマホに投影されるのか、いったい何人の人の手を煩わしているのか、その人達の名前も顔もまるで知らない。
調べるよりも信用してしまったほうが楽だということはある。だがその缶コーヒーは本当に口に含んで大丈夫なものなのか?「公開する」のボタンは本当に今押してしまっても大丈夫なものなのか?