混沌をして語らしめる

読書記録とKJ法

書いてはいけない事

リライト2020-2-4(火)

人の悪口、仕事のミスの言い訳、なぜかネガティブな物言いの方が饒舌になる。

よく書けてるなぁと思ったら人の悪口だったなんてことがザラにある。

仕事のミスで上司に叱責される。あの時、口に出来なかった言い訳は、生来のすこぶる付きの思い切りの悪さでくすぶっている。

胃がキリキリと痛むようなシーンを文章に起こすには、加えてマゾヒストの気質も必要だ。

そして読むものをイヤな気分にさせるウイルスのような文章が出来上がる。

読み返して引っかからなければ、それでいい。溜飲を下げるのが目的の実用的、即物的読み物なのだから、深く考える必要はない。最後に有りもしないヒーローを登場させ文章を回収するだけだ。

人はどんな瞬間に、このような文章に見切りをつけるのか?

投稿した瞬間から、それは始まるようにも思える。パソコンの中でくすぶっている文章と、投稿した文章の違いは何かと言えば、文章が人に読まれようとする意志を持ってしまうということだろう。

それは、書いた本人の分身といえども、もうコントロールすることは出来ず、せいぜい医者と患者の立場で、推敲という延命措置を講ずるだけだ。

文章の死は、投稿という行為によって始まるといえる。パソコンやノートの中に一生眠っていた方が、文章としては幸せだったのかも知れないが、皮肉なことにそれを人は死蔵という。

その、書きやすさから、ネガティブな話を書きがちなのだが、それは延命するに能わず、自ら破滅の道を歩んでしまうようにも思える。

なるべく長く残る文章を書きたいと思う。